セカンドプラン『台所と食卓王国』
駿介先生『OK,わかった!』のほんの2日後、じゃじゃーん♪ 早速、セカンドプランが届きました!!! 『 未だ手書きですが、あなたのご要望に応えて、「台所と食卓王国」を作ってみました。しかしご家族の昼寝用長椅子ソファーもあります。全長25.48メートルありますが収まります。 』とのメッセージが添えられていました。 わぉー、これは凄い!確かに王国と言えるほど、メインになっています。 テラスも含めて考えると全体の半分は食事に関連しているスペースになっています。 『食いしん坊』という言葉がありますが、これが欲の塊のような気もしていて、恥ずかしいと思う反面、中村好文さん曰くの『朗らかな気配が宿る台所をデザインしたいと考えています』に強く共感しています。このセカンドプランに朗らかな笑顔、会話が目に浮かびます。近隣の畑でできた野菜をもりもり食べる姿。。。 私が育った経験の中で、最初に思い出され、また、いろんなことを教えてもらったのは、祖母の台所でした。おばあちゃんっ子だった私ですが、おばあちゃんがそこで始終、家族のために働いていた姿が大好きだったし、お手伝いもたくさんしました。明治生まれ、北区志茂出身のおばあちゃんは、もちろん関東大震災も太平洋戦争も経験していました。おばあちゃんは、当時のハイカラな人だったと思われます。『王子駅から他人の土地を歩かないで家に帰れた』とよく言っていました。当時は一面、畑だったと思いますが、地主の長女だったようです。親の決めた結婚に反抗して、ロサンゼルスで日本大使館員をしていた叔父を頼って渡米し洋裁を覚えて帰国したようです。で、キャリアウーマンとして生きていきたかったようですが適齢期を逃して、祖父の後妻となった人です。私の実母にとっては継母です。・・・ということを、私は結構早くからしっていましたが、このおばあちゃんが大好きでした。 祖母の台所はとても寒いつくりでした。当時としては当たり前ですが。おばあんちゃんは台所を『寒国(かんこく)』と言ってました。でも、いつも床から壁、建具まですっかりと雑巾で拭き掃除されていて、清潔。そして、きちっと丁寧に手のかかる料理をしていました。それが、家族のリズムを作っているように思えました。そういえば、そこには母はあまりいなかったように思いますが、私の姉も覚えていますが、みそ汁は煮干しでだしをとることから、ぬか漬け、お...