ピンチは先祖に助けてもらう
ここまでお金のことを書いてなかった気がしたので、記録に残そうと思います。
今の家は、土地を購入して三井ホームを建てたわけですが、確か利率が4%超という、かなりの高利率のときに3000万近くの住宅ローンを組みました。これは返済額でいうと、相当に不利でした。タイミングが悪かったかもしれませんが、仕方ありませんでした。こどもたちの教育費がかからなかったのが幸いして期限前に完済できました。
さて、今回の八郷の家でも経済的なタイミングは悪くなってきました。というのも、当初、建物については、工事費3000万、設計料(10%)の300万で、合計3300万で考えていた。ところが、コロナ由来のウッドショック、ウクライナ侵攻による資源高騰で、建材は2割から5割価格が上がっているという。ということは、少し少な目に3割増しとしても3300×1.3=4290万、ざっくり+1000万ぐらいかかりそうと概算できる。
大ピンチです!!! いくら駿介先生が工夫の達人とはいえ、やる気がなくなってしまうぐらいの値上げだと思う。
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| ウッドショック |
でも、今後のエネルギー高騰を思えば、躯体をしっかりと作っておくべきだと思う。
決して、贅沢な設備は要らない。
家族との暮らしが、心豊かな『壷中日月長』となる家にしたい。
このように、人生で最大の買い物と言われる家の購入に関して、どうも、社会情勢的にタイミングの悪いときにばかりお金を使うことになってしまう我が家ですが、運よく、母が結構なものを残してくれたので、この増分は準備できそうです。そういう意味では人生運はチャラになるようになってるのか。
私の母は、私がこどものころ、とにかく、徹底的に物を買ってくれませんでした。正直恨むほどで、次女である私は99%お古でした。なんで私はいつも中古なんだろうって。今は中古っていったって、メルカリだのヤフオクだの、むしろ中古で賢くお得に手に入れるっていうイメージですが、当時はバリバリの『貧しさ』がつきまとっていました。でも、それが当たり前の時代でもありました。友達がちょっと豪華なレースのついている洋服を着ていると羨ましくて仕方ありませんでした。母本人も5人の末っ子であったし、戦争を体験しているので、疎開先でさつまいものツルを食べる苦労もしていました。晩年も母の好物は蒸かし芋でした。
そんな母が、祖父が残した土地で貸家をして随分と稼いでくれていた。(晩年5 は私も手伝い、年に一度の確定申告にも慣れました)祖父は岡山・竜野の出身で、妾の子だったそうです。そして、単身、東京に来て、会計事務所を、多分、こじんまりと茅場町で経営していた。独立するきっかけは、新米の祖父を可愛がってくれた、銀座ワシントン靴店だったそうです。祖父には子どもが5人、男3人、女2人もいたのに、戦死だったり病死だったりで、誰も事務所を継ぐ者はいなかった。祖父といえば、私にアイスキャンディーを買いに行かせるとき、3本買ってきてといい、自分が2本、私が1本だった。なぜか祖父といえば、これだけを覚えている。一家の主とは偉いんだな、とか、お金の勘定する仕事なだけに厳しいな、と思ったものでした。
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| 懐かしいホームランバー |
なのに、そんな祖父の相続のときは現金が無くて、残された祖母と母はとても困ったらしく、同じ轍を踏ませないよう母は対策をしておいてくれたのでした。
祖父と母、そして、二人を支えた祖母にありがたく感謝して、有効に使わせてもらい、今回のピンチを助けてもらおうと思います。


我が家も、ほぼほぼご先祖さまのおかげです(笑)。どちらのご先祖さまもしっかり残してくれました。
返信削除私も小さい時はっきり言えば貧しかった、買いたいものも買ってもらえなかった。しかし、目を凝らすと上には上がありましたが、下には下もありました。
ホームランバー、懐かしいです。味まで思い出しました。もっとも、私が小さいころのアイスと言えば、アイスキャンディー屋さんで買う、製造機から取り出した丸い色つきのアイスキャンディーと、汽車に乗ったときに買ってもらう経木の箱に入ったアイスクリームでしたが(笑)。
え~!!!汽車のアイス! 5年ぐらい名古屋にいたので、年に数回、東京~名古屋間の新幹線を乗りました。そのとき、新幹線で300円のカップアイスがあって、一度でいいから買ってほしかったのに、ずっと買ってもらえなかったのに、5歳下の弟が生まれて、弟を泣き止ませるのに300円のアイスを買った母を恨んでいたことを思い出しました!
返信削除食べ物の恨みは怖いとはこのことですね(笑)
確かに、上は上、下は下とわかるのに、随分と時間がかかりました。