八郷に土地を探し始めるまで
八郷という里山の美しさに魅了されたのは、7年前の50歳を過ぎたころだったと思う。特に朝日トンネルができて、つくばからのアクセスが格段に良くなったことで、身近に思えるようになりました。
そのころの私は、子育てがひと段落したことを機に、マラソンやトレラン、ロードバイク、トライアスロン、登山・・・と、スポーツにのめり込んでいた時期でした。このため、八郷でロードバイクの練習もよくしていました。峠アタックも毎週のように。朝日峠を越えて、セイコーマートで一息ついて、風返し峠に登って行って、筑波山神社を経由して戻るなんてこともやっていました。当時は八郷はトレーニングフィールドでした。
そこから、八郷に家を持つ、の決意をするまでには、まだまた、長い時間が・・・。何しろ、本当の田舎に住んだことがないし、足腰が弱ったら、公共交通機関が整った都会にいたほうがいいに違いないと思っていた。いくら、空が狭くて窮屈だろうと・・・隣家の目覚ましで目が覚めようとも・・・新幹線の高周波音が不快だろうとも・・・羽田への飛行機の轟音が頭上から降ってこようとも・・・都会が災害にどんなに弱かろうとも・・・、実家が東京にあり、土地も家もあったので、そうするだろうということに、一筋の疑問もありませんでした。
それが、自分が建築士の勉強をしはじめてみて、住まいと生活の関係についても、考えが変わっていった。特に、岩崎駿介・美佐子ご夫妻との出会いは衝撃的でした。何より、お二方と生き生きと、そして、おおらかに毎日を自然とともに過ごしておられました。駿介氏は「みみずが友達」と大真面目に語り・・・。「体は地域に、心は世界に」という言葉にも惹かれました。
そして、56歳で経験することになったコロナウィルスで自分の考えは決定的に変わった。様々な行動制限がかかる中、これまで、理由がわからないまま感じていた東京という都市への不快や不安に思っていたものが確信に変わりました。後に駿介氏は「都市は麻薬の臭い」と表現しているが、まさに表層の魅力に、都市の不安定さは見て見ぬふりして生きようとおもっていました。東京に行くたび、今ここで地震があったらどうしよう、人も物も雑多な東京に住みたくない、大きな空の下、そう、できれば八郷に住みたい、強く強く思うようになりました。
ただし、このことは自分ひとりでは決められない。夫は基本的に反対でした。しかし、これもご縁なのかもしれないが、二人で初めて土地取得を前提に八郷の土地を見学したところが、八郷の絶景中の絶景だった。その日は土曜日は初秋の晴れた夕方。夫は定年を待たずに攻めの転職で始まった東京通勤、そして、新しい職場への適用疲れで、金曜日に帰宅できずに土曜日の午後に帰ってくるようになっていた。その日も、土曜日の昼下がりにつくばに帰ってきました。私のやることについては「どうしても反対したいのとき以外は反対しないように努力している」という彼を連れて、八郷に向かいました。典型的なサラリーマン、スーツ姿はとても不釣り合いでしたが、八郷の土地で足尾山に沈む夕日、黄金色に輝くイチョウの木、眼下には、既に刈り取られていたが綺麗に整えられた田んぼが広がっていました。
私も夫も、この景色に、すっかりと魅了されました。これが一目ぼれというものなのかもしれません。こういときの勢いというのは止められないもので、翌早朝、もう一度、訪れてみようということになり、その朝も大変美しい朝でしたた。(上:夕方、はじめていったときの写真、下:ふたたび訪ねた翌朝の写真)
というわけで、こういう土地で自然に囲まれて暮らすことに気持ちが大きく傾いた週末だった。私たちの心をつかんだその土地は、残念ながら農振のかかった土地で私たちが住まいを建設することは不可能な土地であることが後日わかった。「いい夢、見せてもらったね」そう話していて、そのうち、熱が冷めるかと思っていたが、予想外にも、さらに熱心に土地を探すことになっていきました。
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